「もう、レッドさん風邪引きますよ」
「平気」
「そろそろ下山しませんか?」
「…」
「暖房のある部屋で温かいシチューが食べたくなったりしないんですか?」
「コトネがそうしたいなら、一人で帰ればいい」
「レッドさん…」
「コトネはオレを連れ戻すために来てるの?」
「違いますけど…ここはあんまり寒いから」
「だったら、来なければいい」





「―そんなこと言ったのか、本当に?」
ずず、とジュースをすする音。昼下がり、ファーストフード店の一角を陣取り、二人の男が頭を寄せ合っていた。
赤い帽子の青年がストローを口から離さないまま頷くと、テーブルの反対側では「信じらんねぇ」と呆れとも怒りともつかない声がする。腹の底から溜息をついたグリーンは目の前の男を軽くねめつけた。
「お前を想ってのことだろ」
「別に頼んでないし」
特に表情を浮かべることなく、レッドは答えた。
「まあ、来ないと物足りないけど」
付け加えられた言葉に、グリーンは再び嘆息する。
呆れるほど素直でないこの男の、コトネはどこが好きなのだろうか、グリーンは頭を捻った。女子との付き合いは慣れているつもりではあったが、コトネの考えることはいまいちわからない。もっとも、コトネを普通の女の子と定義していいのかは疑問だ。
「それで、コトネちゃんは?」
「さあ。怒って帰った」
「泣いて帰った、だろ」
グリーンの前でいつも輝くような笑みを浮かべていたコトネを思い出して、訂正した。多少冷たくされたからと言って怒るような子ではない。コトネが怒ればいいと思っているのは、レッドの願望だ。
「もう少し優しくしてやれねえの?」
「してるさ。でもたまには違う顔が見たい」
「最悪…」
「好きな子のいろんな表情を見たいと思うのは自然だろ?」
人をいたぶる趣味があるわけではない。だが時折こうしてレッドは歪んでいた。付き合いも長いグリーンは既に諦めていたが、そんなレッドに無償の愛を注ぐコトネが少し同情する。
「かわいそうだな、コトネちゃん…正直オレの方が絶対お買い得」
「それはないな」
「即拒否かよ。毎度毎度あんな雪しかない山奥まで通わせるより、トキワの豊かな人間の営みの中でデートした方が数倍マシ―っ痛ぇー」
「ごめん、足が長いものだから」
「てめ…」
テーブルの下では青いジーンズから伸びた足がグリーンの足をぐりぐりと踏みつけていた。乱暴に振り払うとあっさりと足はどいた。しかしグリーンの靴にはくっきりと狼藉の跡が残っている。
「あーあ…買ったばっかだったのに」
「残念だったな」
「しれっと言うな!」
「その靴いいよな。今朝見たときも思った」
「台無しにしておいてよく言うぜ…結構高かったんだぞ」
「へえ、ジムリーダーって意外に給料いいんだな。じゃあここはグリーンのおごりってことで」
「ワ・リ・カ・ン、だ」
勢いよく置かれたカップから、ジュースがこぼれ落ちた。テーブルの向こうではレッドが喉の奥で笑いをかみ殺している。
高ぶった心臓を落ち着けるために、グリーンは深く息を吐いた。
気づいたらレッドのペースだ。これだからこの幼なじみを相手にするのは苦労するのだ。我ながら良く付き合っているものだと褒めてやりたい。同時に、新しくこれと友好を結ぼうとしているコトネが天使のように思える。
「そうだ。それでお前、コトネちゃんに謝ったのか?」
「いや?」
まったく汚れを見せない表情でレッドは答えた。
「なんで?って顔すんな。つーか、お前も本当は悪いと思ってんだろ」
だからここに来たんだろうに。
グリーンが言うと今度はレッドも黙って聞いた。
こうしてレッドがグリーンを食事に誘うのは、最近では珍しいことではなかった。何でも一人で溜め込み、そして本当に一人で解決できるだけの能力を持つレッドは、人を頼りにするということがあまりない。その友人にこうして相談を持ちかけられるのはグリーンとしても嬉しかったし、レッド、コトネという大切な友人二人が付き合うことになったと知った時は誰よりも祝福した。
だが何かあるたびに毎度呼び出されたのでは―そしてレッドの趣向に振り回されるのはグリーンにとってとても迷惑だし、何よりコトネが不憫に思えてならない。
今朝方、レッドから電話を受けたときグリーンはまたか、と呆れたものだ。
「さっさと謝ってまた二人で遊びに来いよ」
「やだ」
「お前…本当に素直じゃないな…」
「ああ、まったく。グリーンに言われるなんてよっぽどだな」
「そういうところがだよ!」
グリーンの引きつった顔を見て、レッドはまた口角をつり上げる。幼い頃の悪ガキそのままの表情だ。昔はよく二人で悪戯して大人たちに怒られたものだが、この男はこういった表情が今でもとてもよく似合う。
…絶対騙されてるよなあ。
思いつつ嘆息して、ポケギアを取り出した。
「何?」
「オレがコトネに連絡してやるから。今、謝れ」
「…何でグリーンがコトネの番号知ってんの?」
一瞬で不機嫌になったその様子も、子供そのままだと思いつつグリーンは脳内に記録された番号を押した。
「番号交換する仲なんですよ。ついでに、このあいだ一緒に食事もしましたー」
レッドに並ぶマサラの悪ガキとして、仕返しも忘れない。
そのレッドに振り回される立場としてコトネとグリーンは結構親しかった。もっとも、食事で交わされる内容といえばいつもレッドのことばかりだったが、これは伏せておく。
案の定、黙ってしまったレッドに「何、お前知らねーの?」と内心にやりとしながら、ポケギアに耳をあてた。コトネが出たようだ。
「あ、コトネ?オレ。グリーン。うん、そう。あのさ、今から出てこれ」
る、と言う前にグリーンの最新型のポケギアは横から伸びた手に奪い取られた。
「あ、こらレッド!」
『グリーンさん?』
不自然に途切れた声と、レッドという名前に電話の向こうから困惑が伝わってくる。返せ、と囁く要望はレッドの腕によって却下された。グリーンを押しのけながらレッドはポケギアを勝手に耳にあてがう。
「コトネ」
『え!え、あ、あの、レッド…さん…?』
聞こえてきた思わぬ人物の声に、動揺したコトネの声色を無視して、レッドは一方的に言葉を続けた。
「今すぐ、シロガネに来て。うん、いつもの場所。そう。ダッシュで来ること。待ってるから」
それだけ言って、レッドは電話を切った。グリーンはもう自分のポケギアを奪い返そうとはしてなかった。ただ、右手を握ったり開いたりしている。殴ろうか、やめるか。
「じゃ、オレ行くから」
レッドはじっとりと睨み付けるグリーンの視線をかわすと、まだ残っていたハンバーガーを口にくわえて立ち上がった。それを見てグリーンも溜息をつく。グリーンの右手は込められていた力は拡散し、諦念ともつかない表情をした顔の横でひらひらと揺れた。
「泣かすなよ」
「なるべくそうしてるけど。あっちが勝手に泣くんだ。仕方ないだろ」
「お前、いつかマジで嫌われても知らねーからな…」
呆れてレッドを見るグリーンのまなざしは、だがしかし優しさも宿っていた。素早い動きで荷物をまとめるこの男に浮かんだ表情が、たまの逢瀬を楽しみにする恋人そのものだったからだ。
早く会いたい。
そう告げているレッドの背中を見送りながら、素直じゃないねえ、とグリーンは思った。
窓の外、人混みの中にレッドを目で追う。
「なんでもいいけどさ…、ちゃんと幸せにしてやれよ」
何にも動じないと思っていた男が愛しい少女に会うために全力で走ってゆく様は微笑ましい。
レッドは生意気で、独りよがりで、恐ろしいほど強いくせに、その精神は脆弱さと隣り合わせだ。そんなレッドの荒んだ心を、少女の、あの春の日差しのような暖かさを持った笑顔が、癒してくれればいいと思う。

「あとは、次はファーストフードなんかじゃなくてもっとうまいものが……あああああ!!」

食事を奢らされたことに気づきグリーンが立ち上がった時には、既にガラスの向こうに赤い姿は遠く見えなくなっていた。



ペール・トーンの日常