一緒に過ごす時間が楽しければ楽しいほど、別れたあとは切なさが襲う。ワタルの影が夜空に溶けるのを黙って見送ったあと、コトネはポケモンセンターへと歩き出した。いつもなら寂しさに胸が締め付けられ、明かりを求めて駆け出すところだが、今日はいつもと違うことが一つある。 腕の中のたまごは静かに存在し、コトネの胸の中をほっこりと暖めていた。そっと耳を寄せると、中から小さな音が聞こえる。 「本当に、もうすぐうまれそうなんだ…」 どうせなら、生まれる瞬間を一緒に迎えたかったが、言っても詮のないことだ。それにもし生まれたとしたら、本人の目の前でワタルと呼ばされからかわれるのは目に見えていた。 ポケモンセンターへ行けば、たまごの様子を調べていつ生まれるかもわかるだろう。たまごを抱きしめると、ひんやりとしていて気持ちいい。空調の整備されたレストランとは違って外はかなり蒸し暑かった。 フレンドリィショップの角を曲がれば目的地はすぐそこだったが、なにげなくショップを覗いたコトネは中に入るよう進路を変えた。大きく取られた窓の向こうには、見慣れた赤毛が揺れていた。 「シルバー」 中に入って、声を掛けると赤毛の少年がこちらを振り向く。 「なんだ、コトネか。何してんだ」 「シルバーが見えたから。買い物?」 「そうだけど、聞きたいのはそうじゃねぇよ。お前、そのたまごどうしたんだよ」 「これは、もらったの」 「はあ?誰に」 「えっと、ワタル、…さん」 つっけどんに聞かれるが、少年の態度には慣れていたので特に気にせずに答えた。シルバーの態度より、脳裏に浮かぶ意地悪そうに笑う男の方がよっぽどコトネを困らせる。やっぱり、名前では呼べそうにない。 コトネの葛藤を知ることもなく、告げられた名前にシルバーは嫌悪感を露わにした。シルバーがワタルと懇意ではないのをコトネも知っていたが、名前だけでここまで不機嫌にさせるワタルを逆にすごいとも思う。 「なんでたまごなんかもらってんだよ、いや、何のたまごだ?」 元々つり目がちな瞳に更に熱気を宿らせ、シルバーはコトネを問い詰める。すると、突然コトネはバランスを崩した。 「わ、」 「な、」 足下を小さなポケモンが駆けるのを、視界の端で捉える。反転しかける世界の中でとっさに腕を伸ばすと、同じく反射で伸ばされた腕が掴んでくれた。腕の先では驚いた顔が、何やってるんだと言葉をぶつける。 「お前、気をつけろよ…!!」 「今のは…」 シルバーが少女の身体を立て直すと、陳列棚の角から綺麗な女性が顔を出しポケモンの非礼をわびた。いたずら好きなピチューは怒られて、ふてくされながら外へと連れられていく。あいつのせいか、と隣の少年が呟いた。 「ごめんシルバー、ありがとう」 「別に…ちょっと出ようぜ。喉渇いた。おごれよ」 「え、でも、私ポケモンセンターに」 「あとにしろ」 「シルバーの買い物は?」 「終わった」 掴んだままだった腕をずんずん引っ張り進む。もう片方の手で必死にたまごを抱えながら、コトネはシルバーの後を追った。 理不尽だ。コトネの用は却下されたのに、自分の用事はしっかり果たしている。しかしその傍若無人っぷりが、ある人物を連想させて、コトネは微笑んだ。 「なんだよ」 振り返ったシルバーがコトネの顔を見て気味悪そうに言った。 「ううん…あのね、なんかシルバー、ワタルさんに似てるなあって」 その言葉を聞いたシルバーは唐突に足取りを止めた。コトネは慣性の法則に従い前のめりになるが繋がった手に引っ張られ、今度はシルバーの方へと倒れ込む。たたらを踏んでこらえたコトネの頭上では月が輝き、二人に影を落とした。 「シルバー?」 返事はない。夜の公園の真ん中で、たった二人っきり、佇んでいる。周りにはどこかお茶にできそうなお店もなく、ここがシルバーの目的地とも思えない。何よりシルバーの不自然な止まり方にコトネは不思議そうに小首をかしげた。 シルバーは葛藤していた。 コトネとワタルがどういう関係か知らないし、知りたくもないが、よりにもよってワタルに、あのいまいましいドラゴン使いに似ていると言われたことはシルバーを甚だしく苛立たせた。更に許せないのは、それを表現したのがコトネであるということ。 シルバーを見つめる瞳は濁りの欠片も見えず、いつもとなんら変わりない。自分にこんなに苦しい思いをさせているのに、彼女はそれを知らない。 耐えきれずに視線を落とすと、目にとまったのはたまごだった。 うねるように刻まれた青い線と、真っ白に艶めく白。ドラゴン使いからもらったというたまごが、コトネの細い手で大事そうに抱えられている。それはとても許し難いことに感じられた。 「おい、それよこせ」 「え?」 「持っててやるっつってんだよ。落としそうだろ、さっきから」 「あ、うん。…ううん、だめだよ。このたまご、もうすぐ生まれそうなの。私が持っていてあげないと」 フレンドリィショップからこのかた、ずっと掴まれたままだった手をあっさりと離すと、シルバーと繋がっていたはずの手はたまごを優しく撫でた。その時の表情が、またシルバーを動揺させた。 自分の、見たことのない、コトネ。こんなの、知らない。 「いいからよこせよ!」 「あ!」 とっさにたまごを奪い取る。返して、とすがるコトネの届かないところまでたまごを持ち上げ、空いた片手でコトネを突き返した。それほど力を入れたつもりはなかったが、コトネはあっけなく転んだしまった。耳に入った小さな悲鳴で、シルバーは我に返ったように気持ちが静まるのを感じた。 やり過ぎた。 自分のしたことを理解すると、急に気まずさと申し訳なさでいっぱいになる。冷や汗が背中を伝って、気持ち悪い。 「だ、大丈夫か」 プライドの高さが邪魔をして、謝罪の言葉はなかなか出てこなかった。手を差し出すと、その向こう、地面に座り込んでいるコトネを見て、何かデジャヴを感じた。 そういえば、初めてあったときも、自分は彼女を突き飛ばした気がする。シルバーは思い起こされた記憶に、舌打ちした。まったく自分は、コトネに酷いことをしてばかりだ。こんなんじゃ、好いてもらえるわけが … …… そこまで考えて、はたと気づく。自分は今何を考えていた?何を。 いや。 もやもやとわき上がる複雑な感情に答えを出したくなくて、シルバーは思考を強制終了させた。気持ちはデリート。感情はデリケート。 わからない。わかりたく、ない。負けるとわかっている勝負を、何故しないといけないのか。 「悪かったよ」 今度はするりと謝ることが出来た。少女の手を取り、立ち上がらせる。コトネは首を振った。消されたログには誰もアクセスできない。 「平気、それよりたまごは」 二人の視線がたまごを捉えると同時、変化は起こった。シルバーの手にあった白いたまごは、その艶めきを輝きにかえ、発光していた。 孵化だ。 青く輝く曲線は光の中央に吸い込まれ、いっそうまばゆく光り出し、目を開けていられなくなる。まぶたの裏に焼き付いた緑を見ながら、コトネは月が二つあるようだと思った。そうして光が収まると、腕の中の小さな月は消え失せ、代わりに黒い眼をくるくると動かす小さなミニリュウがちょこんと収まっていた。 「う、うまれ、ちゃった…」 呆然とした様子のコトネに対し、シルバーもまた言葉がなかった。それは竜の孵化を初めて目にした驚きでもあったし、なによりも。 電子音と共にポケモン図鑑がメッセージを告げる。ポケットから取り出すと、画面は生まれたポケモンに名前を登録するように書いてあった。 「たまご…ミニリュウのたまご、シルバーが、孵しちゃったの?」 コトネの少し掠れた声が、そして図鑑に映し出された画面の文字が、いっそうシルバーの胸に突き刺さった。 生まれたてのミニリュウの映像。そしてその横には、疑いようもなく「おや:シルバー」と書いてあった。 がらり、と大げさな音がして古い自販機がジュースを吐き出す。コトネの分のミックスオレと、それから自分の分のサイコソーダを買い、ベンチへと戻る。 街灯が作り出さす影は複雑だが、ベンチから伸びるそれはまた一層歪んでいた。俯いて座っているコトネの膝の上には小さなミニリュウが遊び足りなそうに尻尾をゆらしながら鎮座しており、シルバーが戻ってくるのを見つけると嬉しそうに高く鳴いた。その様子を見て、コトネは嘆息する。 「…この子、完全にシルバーのこと親だと思ってるよね」 「…まあ、おや、だしな…」 小さな身体をゆらし、じっとシルバーを見つめる二対の黒。目をそらしなんともいえない空気を断ち切るように缶を差し出すと、コトネはそれを受け取り再び重たい溜息をついた。隣に座る気にはなれない。逃げ出したいのかもしれなかった。 「どうしよう」 それはシルバーも同じだった。所在なく彷徨わせた手を、目の前の俯いた頭に乗せる。 「…悪かったよ」 「…ううん。なんか、今日はシルバー、優しいね」 そう言ってコトネが少し笑った。なんだかきまりが悪くて、乱暴に頭を撫でる。今日は、こんなのばかりだ。頭の中でそうぼやくが、どう考えても自分がまいた種なので仕方がない。 「私も、ごめん」 「何が」 「ワタルさんに似てるって言われたのが、嫌だったんでしょう?」 シルバーは顔を顰める。事実だが、それを指摘されるのは痛かった。 「ミニリュウのこと、ワタルさんには内緒にする」 「そうか」 「でも、この子は育てたいの。私にくれる?」 「もともとお前のだ」 ワタルからもらったポケモンをコトネが育てることは、シルバーにとっては愉快なことではなかったが、ミニリュウに罪はない。自分一人ならどこまでも傍若無人に振る舞える彼だったが、それくらいの気遣いはできた。 「名前、決めた?」 「いや」 「シルバーが決めていいよ」 「…」 と言われても、とっさには思いつかない。 「お前は、何か決めてあったのか?」 コトネは困ったようにまなじりを下げて、口をつぐんだ。何もなかったのではなく、むしろ隠したいことがある。シルバーはそう感じた。何故か脳裏にはいけ好かない男の姿が蘇り、コトネが隠していることとその男は何か関係があるように感じられた。あったんだろ、と詰め寄ると、観念したように口を開く。 「ワタル、って、つけてくれって」 「はあ?」 「その、深い意味じゃなくて、名前を呼ぶ練習に、」 「意味わかんねぇ」 言い捨て、むすっとしながら横に腰掛けると古い木材で作られたベンチは小さな悲鳴をあげた。隣で曖昧に笑う少女が気にくわない。ソーダを一口飲むと炭酸が喉を焼いた。 コトネは嘘をつけるタイプではないから、深い意味はない、というのは本当なのだろう。彼女がそう捉えているのは本当、という意味だ。 だがワタルは違うだろう。コトネがミニリュウのことを「ワタル」と呼んでいるところを見れば、誰がどう見ても、そしてコトネがなんと言っても、二人の仲は恋仲、あるいはそれに近いものだと思うに違いない。そしてワタルは、それが狙いなのだ。 シルバーとしても、コトネがミニリュウを「ワタル」と呼び可愛がっているのを想像するのは思った以上ののダメージだった。 「…決めた」 「名前?」 「このミニリュウは、お前にやる。図鑑出せ、名義の登録するから」 小首をかしげながらコトネは図鑑を差し出した。それを受け取り、ポケモンの管理画面を開く。自分の図鑑も取り出すと、そちらはまだミニリュウの名前を登録する場面で止まっていた。 「ミニリュウをもらえるのは、嬉しいけれど…というか、もともと私のミニリュウだけど…、名前はどうするか決めたの?」 まさか本当にワタルにするとは思えないが、シルバーは慣れた手つきで画面をいじくり、登録を完了させる。 「何にしたの?」 「シルバー」 「え?」 「うるせえ!こいつは『シルバー』!せいぜい大事にして、ワタルのカイリューより強く育てろよ!」 聞き間違いか、あるいは質問の意図を勘違いしたか、最初はそう思ったが目の前の少年はしっかりと視線を合わせて言い放った。 応援してるのかけなしているのかわからない発言に唖然と、むしろ名前の衝撃に打ち抜かれ呆然としたコトネを一瞥すると、シルバーは…人間のシルバーは、ミニリュウの『シルバー』もコトネも置いてさっさと公園を出て行ってしまった。コトネが反論するための声を得た時にはとっくに彼の姿は見えなくなっており、無情にもぽつんと一人残された少女の頭上を星が煌めく。夜の風が、一日終わりを示していた。ワタルはまだ起きてるだろうか。そうだとして、なんと連絡をすればいいのか。 「どう、しよう…」 『おや:シルバー』『なまえ:シルバー』 力なく呟いた少女の声は誰にも届かない。いや、ポケモン図鑑に登録されたばかりのミニリュウは己の身の上に降りかかったやっかい事を知ることもなく、眠そうに一声鳴いた。 ←戻る |