彼女がリーグの頂点に立ったあの日から、数ヶ月が過ぎた。
新しい立場を迎えた彼女は毎日充実した日々を過ごしているようだ。最初こそ器ではないなどと愚痴を零していた彼女も、今ではリーグでの仕事を心から楽しんでいるようだった。そしてかつてワタルがそうであったように、立場を放棄してあちこち出歩くことも珍しくないようで、四天王から行き先を尋ねる電話が来るたびに、ワタルは適当なことを言ってごまかしていた。
そして今日も。電話が鳴ると、ワタルは世間話を交えつつ堂々と嘘をついた。

「コトネちゃん?さあ、知らないな。この間トキワにいるって言っていたから、今頃はマサラの研究所にいるんじゃないかな」
研究所どころか、今まさにワタルの腕の中にいるのだから口から出任せもいいところだ。四天王をまとめる女性は胡散臭げに「本当にそこにいないんですね」と念を押してから乱暴に電話を切った。ワタルは苦笑する。しびれを切らした彼らが突撃してくる前に引っ越した方が安全かもしれない。
ポケギアを枕元へ押しやると、隣の体温が身じろぎした。起こしてしまったらしい。
「おはよう、コトネちゃん」
「…おはようございます」
茫洋とした様子で眠そうにあくびをする彼女は、とてもリーグチャンピョンとは思えない。
ワタルは、今でも詳細違わず思い出すことが出来る素晴らしいバトルを脳裏に描いた。良く育てられたポケモンたち。的確な指示にも、そして時に突拍子ないように思えた作戦でも、ポケモンたちはトレーナーを一心に信じ、戦っていた。正しい心と強さを持ったトレーナー。そして、彼女の深い意志の宿った瞳を思い出す。あの時はその深さに吸い込まれそうだと思った。
そういえば。
ワタルの思考は再び記憶の海へと沈んだ。まだコトネに出会うずっと前。やはり同じように、強い意志とそれを表す瞳を持った子が、チャンピョンリーグまでたどり着いた。亜麻色の髪がたなびき、その向こうに焼けるような感情を灯らせた瞳が揺れる。

「…昔」

そうだ。あの子も。

「昔、君と同じ目をした子に、会ったよ」

彼女もまた、チャンピョンになった。

懐かしい。たった数年。だが、もうずいぶん昔のことのように思えた。



「…あの、それって、女の子ですか?」

鋭い感情がこもった声がして、ワタルの世界は現実へと帰ってきた。下から睨み付けるように見上げる彼女はもうしっかり覚醒しているが、瞳は不安そうに揺れていてその心情を正確に表していた。くすりと笑みが零れる。まったく、彼女はわかってない。この期に及んで自分が彼女以外の誰かに恋い焦がれてるとでも思っているのだろうか。
こんなに引力の強い彼女を前にして、他の女性に目がいくとでも。

コトネは確かに素晴らしいトレーナーだ。チャンピョンという重責に負けることなく、トレーナーに必要なものを全て持っている。しかしその実、やはり未だ子供らしさから抜け出しきってはいないのだ。大切な人の瞳に映るのは自分だけであってほしい、自分以外の誰かを見ないで欲しい。子供らしい独占欲。そんなアンバランスさを抱えた少女を、愛おしいと思う。

そっとコトネの耳に唇を落とすと、身をよじった。

「くすぐったいです、ワタルさん」
「君はここが弱いよね」
「もう。ごまかさないでください」
「別に、そんなつもりはないんだけどな」
「…じゃあいいです、もう」
「女の子だよ」

さらりと告げた言葉の威力は彼女のシールドを破る程に大きく、中枢に達した電撃はその小さな肩を震わせた。その肩をそうっと抱きしめる。

「君と同じで、意志が強くて、そしてポケモンに優しく、正しい心を持った良いトレーナーだった。彼女はチャンピョンになった後にそれを辞退し、旅に出た。今頃は、シンオウか、ホウエンか…。元気でやってるかな」

「…私と、同じ?」
「そう。とてもよく似ているな」

コトネの声は暗く、表情は俯いていて見えない。白いうなじにうっすらと散った赤が鮮やかで、ワタルは目を細めた。輪郭をなぞり先端を掴んで持ち上げると、コトネに優しく笑いかける。

「けれど、彼女と君とで決定的に違うことがある」
「違うこと?」
「そう。わかるかい?」
「わかりません…」
「オレが、君を好きってことが違う」

思いも寄らない告白に、彼女は一瞬惚けて、そして顔を朱に染めた。小さな声で「ずるい」とか「卑怯です」とか…、まあほめられてないのは間違いないが、悪い気分ではなかった。
掴まれていた顎を振り払うと、頬を膨らませてそっぽを向いた。ならばと耳をはむと、部屋には笑い声が響いた。

「君が不安になってしまうのは、君が優しいからだ。だけど、君がオレに関して一番気にしてることは心配しなくていいさ」
わかるだろう? と声を掛けられ、腕の中の少女は小さく頷いた。笑んだ彼女にワタルも微笑みかけ、顔に、身体に、唇を落としていく。
穏やかな日差しが薄いカーテン越しに部屋に注ぎ込み、恋人たちの蜜色の時間はゆっくりと過ぎていった。



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