とっぷりと夜も更けた頃、マツバが町々で綺麗に飾られたイルミネーションをなんとはなしに眺めながら帰路につくと、ふと自宅に明かりが灯っているのが目に入った。 泥棒か、と一瞬警戒したがカーテンからは煌々と明かりが灯っており、微かにテレビの音が流れてくる。訝しんで玄関を開ければ、そこにはマツバの物ではない靴が二人分、置いてあった。一つはかわいらしい赤で施された小さな靴で、もう一つは白を基調としたフォーマルシューズだ。どちらもよく見覚えがある。 かじかむ指をさすりながら居間へ行けば思ったとおり、ミナキがこたつでくつろいでいた。入ってきた家主に気づき、軽く手を挙げる様は何の悪びれも感じていないようだ。 少女の方は、といえば寝転んだまま先程からぴくりとも動かない。トレードマークの帽子は枕になっていた。 こたつの上には何故か大きな土鍋が鎮座しているが、散乱した皿を見るにどうやら宴は終わったらしい。 「あのさ…なんで?」 「コトネがクリスマスだというのに一人でエンジュをうろうろしていたから連れてきたのだ」 「いや、ここ僕んちだからね…」 先程の「なんで?」には様々な意味が含まれていたが(主に抗議の言葉が)剣呑な瞳を向けられたはずの青年はまったく気にしていないふうであり、それどころか寒いからドアを閉めろと家主に抗議したので、言うべき台詞は全て溜息に変換され吐き出されていった。疲れて帰ってきたのにこれはない、と思うが目の前の青年には何を言っても適わないのは重々承知の身の上だ。 もう一度嘆息するとマツバはモンスターボールを取り出し、ポケモンたちを開放するとこたつに滑り込んだ。出てきたゴーストポケモンたちはみな一様に家中へと散っていく。家の中ではポケモンを自由にさせるのがマツバの育て方だ。ただし、今日はゲンガーがいない。 「マツバも一人クリスマスか?寂しい奴め」 「ジムリーダーは年中無休です」 「何!ふぅむ…わざわざ今日を狙ってジムに挑戦しようとする輩がいるとは…そいつも寂しい奴だな!」 「………ミナキくん仕事は?」 じっとりとした視線で問い詰めれば、しかしミナキはなんのその。 「スイクンハンターといえど休息は必要だ!いざというときに体力が無くては追うこともできんからな!」 と、表裏のない爽やかな笑顔で告げられたセリフにマツバは閉口した。 どっと疲れが出た気がし、何も言わずにこたつにうずくまる。 鍋を覗くとまだ少し具が残っていた。 「それはお前の分だ。コトネが残しておこうというのでな」 「ありがと…。てかこれうちの冷蔵庫の中身でしょ?」 「ああ!見事に鍋の材料が揃っていたからな。鍋パーティーでもする予定だったのか?」 「それがわかってて何で食べちゃうかなあ」 何を言っても無駄だとわかっていてもつい小言が漏れてしまう。こんなマイペースな人間と親友をしている自分は結構すごいのではないかと思う。ふとマツバはそこで寝ている少女は一体どうやってミナキと会話しているのだろうと思った。二人っきりで鍋を囲むのはなかなかに忍耐が必要だったに違いない。 マツバは申し訳程度に残っている具をもう一度火にかけてから啜った。この部屋には自分を含めて三人もいるのに一人で鍋パーティーとは、なんとも寂しいことである。 「てかコトネちゃんなんで寝ちゃってるの?」 「食べたら眠くなったんだろう。やはりまだまだ子供だな」 「コトネちゃん、風邪引くよー」 一応声をかけてみるが、起きる様子はない。それを見てミナキがぽん、と一つ手を叩いた。 「そうだ。コトネがケーキを持っていたのだ。シャンメリーもあるぞ」 「ああ、クリスマスだしね…。ていうかシャンメリーってこれのこと…?」 マツバはこたつの横にごろりと転がっていた赤い瓶を手に取った。綺麗にラッピングがされていた形跡があるが、中身は空だ。しかも、マツバが持っている物以外に数本が飲みかけのまま放置されている。 「……。鍋とシャンメリーの組み合わせ…」 「ケーキは冷蔵庫だ。取ってきてくれ」 「きみ本当何様なの?」 まったく遠慮のない友人に一つ嘆息し、立ち上がるとキッチンへ足を向けた。 こたつの恩恵は大きいらしく、廊下の空気は冷え切ってはいたが鍋とこたつでほてった身体には心地よかった。 冷蔵庫を開けると、確かにケーキらしき箱が入っている。代わりに鍋の食材は消えていた。 マツバは小皿を三つと新しいグラスを三つ、そしてワインの瓶を置いてあった盆に乗せると、足早に居間へ向かった。 「コトネちゃん、ケーキ食べるって。起きてー」 こたつの上を片付け、ケーキを並べると未だに眠ったままの少女に声をかける。しかし少女はぴくりとも動かない。 「ぐっすりだな。おい、コトネ、低温火傷するぞ」 「すごく今更だよね、それ。でもコタツで寝ちゃう気持ちはわかるなぁ…」 「ふむ。確かにこの心地よい温もりは魅力的だが…しかしまだまだ甘いぞマツバ!」 「何が?」 「最強はやはりコタツにホットカーペットに決まっている。あれならば寝転んだ背中や尻も温かい」 「やめてブレーカー落ちるから!」 青年二人がみっともなく言い合っていると、騒ぎに揺り動かされた眠りから浮上したらしく、かすかにコトネが動いた。 「あ、コトネちゃん、」 起きた?と言いかけた声は飲み込まれた。ううん、という悩ましい声と共に露わになった首筋は、普段より赤みを帯びている。 マツバの心臓が一つ、不規則に跳ねた。 「……コタツ、熱い?」 「そうでもないと思うが」 ケーキを切るミナキはそっけない。何とはなしに背徳的な気分になったマツバが手を伸ばしかけたまま逡巡していると、それを待たずしてむくりとコトネが起き上がった。ほっとしたのもつかの間、その瞳は未だ焦点を結んでおらず、とろりと溶けた視線がふらふらと彷徨うと、ぴたりとマツバを見据えた。その据わった視線に内心構えると、途端に破顔してコトネは笑い出した。 あまりにも一貫性のない行動。そしてほてった頬と、うなじまで赤く染まった様。 極めつけに、コトネの口からは微かに葡萄とアルコールの香りがした。 ……酔っている。 「ちょ、ちょっとミナキくん何飲ませてるの!!お酒は二十歳から!!」 「わ、私はシャンメリーしか飲ませてないぞ!」 「何言ってるの、どう見てもコトネちゃんふらふらだよ!」 「そんなこと言われても私は知ら」 「あ、これでしょ、シャンパン!!」 こたつ脇に転がっていたシャンメリーの瓶の中から目ざとく毛色の違う瓶を見つけ手に取ると、ずいぶん軽い。よく見ればクリスマスに開けようとキッチンに飾って置いたものだ。 「何!それは酒だったのか!」 「だったのか!じゃないよ、大人なんだから飲めばわかるでしょ!まったく子供舌なんだから…」 「何だと!」 あーもう、と嘆息するマツバの横でコトネがからからと笑った。何がおもしろいのかまったくわからないが、元来酔っぱらいとはそういうものだ。 「待ってて、冷たいお水持ってくるから」 ケーキはお預けだ。マツバは立ち上がると急いでキッチンへと駆けていった。 「大丈夫か、コトネ?」 ミナキが覗き込むとコトネは据わった目で「マツバさんは…?」と呟いた。 「水を取りに行っている。気持ち悪かったりしないか?」 ふるりと首を振ったコトネにミナキは些か安堵した。未成年者に酒を飲ましたとあっては監督責任である。 「マツバさん、は…?」 ほっと息をついたミナキにろれつの回らない口調で再びコトネが呟いた。とけた目がぐるりと部屋を見渡す。その頬は紅潮しているが、ミナキはそれが酒のせいだけではないように思えた。 「コトネ、お前マツバのこと好きなのか?」 気になったことを飾らずに尋ねられるのがミナキという青年である。 直球で問いかけられた疑問にコトネは素直に頷いた。平時であれば絶対に肯定しなかったであろう。 アルコールで鈍くなった脳は思考を放棄し、自分の気持ちにただ従順であった。 「そうか…」 「で、も…」 「でも?」 「でも、でもマツバさん、全然気づいてくれない、し、今日も、ジムでおばあちゃんと仲良く、して、る、し」 「いやイタコのばあさんたちはジムトレーナーだから…」 「だ、だってケーキ、クリスマスなのに、やっぱり、私が子供だから、だからマツバさん…私、魅力ないし、やっぱりおばあちゃんのほうが…」 「落ち着けコトネ!」 堰を切ったように溢れる言葉たち。支離滅裂な言動は確実にアルコールのせいである。コトネはイタコのおばあさん達が障害になるのだとかたくなに信じているが酔っぱらいを正論で説得することなどできるはずもない。 どうしたものかとミナキが頭を抱えると突然コトネが押し黙った。 「どうした?」 「……どうしたら私のこと、見てもらえるんだろう…」 「……」 子供に似つかわしくない寂しげな表情で瞳を伏せたコトネに、ミナキもまた口を噤んだ。 この子供は普段ならこんな弱音は絶対に吐かないであろう。また、恋慕の情とてひた隠しにしているに違いない。あのマツバが気づいてないくらいなのだから。 それが、酒を摂取したことで少しばかりオープンになっているのだ。寝起きにマツバの姿を求める程度には。 そして、ミナキが思うに、コトネはもっとアクティブになるべきである。 「コトネ、大人の階段登るには二つ方法がある…」 「二つ…?」 「そうだ、一気に登るか、ゆっくり登るかだ。コトネ、マツバにキスしてこい!」 脈絡のないそのセリフに酔っぱらいであるコトネすらきょとんと目を見開いた。 だがミナキは気にした風ではない。 堪え忍ぶ恋というもの自体が、根本的にミナキの考え方とは合わないのだ。 「お前が一人の女性であるとあの唐変木にわからせてやるのだ、さあいけコトネいけいけコトネ!」 「私がちゃんと女の子って…」 慣れないアルコールで溶けた脳にミナキの言葉はすんなりと浸透した。ぐっと拳を作って立ち上がると、一目散に廊下へと駆けてゆく。 足取りのおぼつかない様が少々心配ではあったが、マツバがなんとかしてくれるであろうと笑ってミナキは残っていたシャンパンをグラスに注いだ。 ほどなくして廊下の向こうからマツバの悲鳴とも叫び声ともつかない声が辺りに響き渡った。 そしてどたばたと大きな足音が居間へ向かってくる。 「みみみミナキくん!!コトネちゃんに何言ったの!?むしろ何させてるの!?」 現れたマツバはおもしろいほど狼狽しており、その真っ赤に染まった顔を見てミナキは盛大に笑ってやった。 「何笑ってるの!」 とマツバが詰め寄るがまったく木の葉のようにひらりとかわされ意味を成さない。 のれんに腕押し。つくづくミナキとはこういう男である。 「コトネはどうしたんだ?」 未だにふ、だの、ひ、だのこらえた笑いを交えながらミナキが尋ねた。騒動の犯人である少女はマツバの脇に抱えられているがぐったりしている。 「い、いや、僕びっくりして突き飛ばしちゃって…」 「ううー、痛いです」 ようやく下ろされた少女は頭の後ろにできたこぶをさするとじわりと涙を浮かべた。 「……」 「……泣かせた」 「不可抗力だよ!!」 「ふか?」 「あああもう、コトネちゃんもう寝て!寝ちゃって!そして酔いも覚まして!」 「ええー」 これ以上は色々とまずい、と動揺を押さえ込みながらその細い背をぐいぐいと隣の寝室まで押した。不満そうに頬を膨らませた少女には悪いが、さっさと寝てもらわなければこちらの身が持たない。 押し入れから客用の布団を取り出してしいてやると、コトネが呟いた。 「一人で、ですか?」 「………」 廊下から差し込む頼りない光が部屋に複雑な陰影を作った。 コトネのこの発言は、自分が寝た後どうせ大人達だけで盛り上がるんだろう、とか、そこに混ざれない疎外感とか、食べ損なったケーキとか、もろもろの寂しさからもれた言葉であろう。 そう、深い意味はないはずだ。決して。 しかし下から見上げてくる幼い顔は切なげで、濡れた瞳はマツバだけを映して揺れている。 気づけば口内はからからに乾いていた。 ミナキが二本目のワインに手を伸ばしていると、ふすまが開き憔悴しきった様子でマツバが顔を覗かせた。 「おう。時間がかかったな。コトネがだだでもこねたか?」 「もう勘弁して……」 マツバはこたつに滑り込むと糸の切れた人形のようにぐったりと動かなくなった。 「なんだ、今更か」 「本当、今更だよ。……全然気づかなかった」 「なら自業自得だな」 くくっと喉で笑うミナキをじっとりと睨み付ける。 「……。僕にもワイン」 「もうあまりないぞ」 「まだキッチンにあるはず。取ってきて」 「やれやれ」 キッチンへと向かったミナキはボトルを二本もあけたと感じさせない足取りだ。そもそもこの男がこなければこんな面倒なことにならなかったのに、と思うがこの男がコトネを連れてこなければ自分はずっとコトネの想いに気づかなかったかもしれない。 何か色々飛び越した気がするが…。 「コトネちゃん、起きても今日のこと覚えてるかな……」 覚えていて欲しいような、忘れて欲しいような。 ふと、今日が聖夜という特別な夜であったことを思い出した。 「ああ、だから…」 できればやり直したいなあ、などと複雑な思いを抱きながら隣で眠っているはずのコトネを想うのと同時、聖夜だというのにケーキを肴に男二人で酒を交わすしかない自分にマツバはげんなりと肩を落としたのであった。 特別な夜は、誰にとっても等しく淡々と更けてゆく。 |
呑まれた男 |
--- お酒は二十歳になってから! |