どこからか飛ばされてきた大粒の雪の塊が、白い帽子に染みのように落ちた。
一つ、また一つと積み重なっていく重みを乱雑に手で振り払うと、その一つがマフラーと首筋の間に落ちてコトネはひゃ、と小さく声をあげた。
「寒い…」
吐息はほわりと白く染まり、すぐに外気に溶けてしまう。
その様子を見て少し背中の炎を強めてくれたバクフーンに微笑んで、コトネは外を覗いた。
小さな洞窟の出口。大きく張り出した岩陰から顔を覗かせると、白い岩壁は空と同化したようにそびえ立っており、まだまだ先が長いことがわかってしまって、コトネはもう一度溜息を吐いた。
シロガネ山は万年雪を纏った極寒の地だ。常日頃から吹雪き舞う山だが、今日は風が弱い代わりに、ただただ雪が重い。新雪は注意して歩かないとどこまでも埋もれていってしまう。
既に両手の指では数えられない程度にはこの山に登っているが、それでもこの身を切るような寒さにも山の登り方にも未だに慣れない。軽装備で頂上にいる少年を化け物かとさえ思う。
そんな少年に、自分は会いに行こうとしているのだが。

よし、と気合を一声。洞窟から出ると、帽子や肩に再びひらひらと雪が積もった。
面倒だし、次の洞窟についたら払おうと決めてコトネは先を急ぐ。
見渡せばこの世界はただただ白い。
今頃下界では色とりどりに飾られたツリーやきらきらと輝くイルミネーションでとても賑やかに違いない。コトネは時折感じる野性ポケモンの気配に注意しながら、暖かなレストランの中でおいしいシチューやローストチキンを頬張っている自分を想像したがすぐにやめた。空想でお腹は膨れないし、温かくもならない。マッチが減るだけだ。
それに。
コトネは思った。
足は前へ前へと進む。
どんなに下界のクリスマスが華やかで楽しいものであっても、そこにレッドがいないのでは意味がないのだと。
湯気を立てるシチューや香ばしいローストチキンだって、レッドが一緒でなければ味気ない。
どんなに鮮やかな色を持った場所より、レッドがいるこの白い世界がいい。

……本当のことを言えば、レッドが山から下りてくれれば一番良かったと、コトネは思う。

だけどコトネの好きな人はシロガネ山を下りる気配もないし、たまに降りたって連絡なんかくれないから、結局はいつも、この真っ白な山の頂で会うことになる。
「寒いし、辛いし…」
コトネの零した愚痴はしんしんと降り積もる雪の中に吸い込まれて消えていった。他人のことなんてまったく気にしない彼が少し恨めしい。でも、そんな傲岸不遜な彼が時折見せる本音や感情の機微を、コトネは気になって仕方がないのだ。
「ふぅ」
口から出た水蒸気はことごとく白へと変化する。
今日は、クリスマスだ。
そして、あそこなら。
「ホワイトクリスマス、なんて。少しはロマンチックなことを期待してもいいよね?」
誰に問いかけるでもなく見上げた山は相変わらず灰とも白ともつかない曖昧な色をした空と同化していたが、コトネは強く微笑むと埋もれた身体で雪を泳いだ。




「はあ、あとちょっとだよ、バクフーン」

炎に照らされゆらゆらと揺れる影が洞窟の壁に幾重にも重なっていた。
その影をかき消すように、前方に一つの白い影。
出口だ。
ここが、山頂に行くための一番険しくて、一番長い、最後の洞窟だった。
そして一番厳しい洞窟を抜けたとしても、山頂はなお冷酷な雪と風で出迎える。
万年雪の頂点。
そこはコトネが育った場所とは別世界。
下界と違う世界だからこそ、ここには下には降らない雪が降っている。下とは違う、特別なクリスマスが迎えられる。華やかじゃなくたって、ジョウトの何人もが味わえない、ホワイトクリスマスが…。

コトネがうっすらと汗ばんだ額をぬぐって外を出ると、そこは一面の白だった。
ただしそれは、いつも見る灰の混ざった冷たい世界ではなかった。
コトネは最初それを見間違いだと思った。次に、暗がりから外へ出たせいで目が慣れていないからだと思った。
最後に、ぐっと目をつぶってからゆっくりと開き、先程見た光景と寸分の違いもないことを、夢ではないことを認識して、コトネは大きく目を見開いた。

世界は綺羅を散らしたように輝いている。見渡す限り一面中がそうだった。空から落ちる雪粒は、いつもは灰の雲を透かしたように切ないのに、今日に限っては輝く白にも、あるいは七色にも見えた。プリズムを内包した結晶がひらりひらりと舞い落ちる。
雪からの照り返しが眩しかった。


「ダイアモンドダスト……」


感嘆の声が、白い吐息と共に漏れた。





「コトネ、こっちだ!」
「レッドさん!」
コトネが奇跡に見とれていると、陽光と反射光で霞む世界から赤い影が現れた。
「あの、これ…」
あまりの光景に言葉も出ない様子のコトネに、レッドはくしゃりと笑った。
「すごいだろ。滅多に見られないんだぜ。コトネは運が良かったな」
確かに、こんな綺麗な光景は初めて見た。ここに長くいるレッドでさえ「滅多に見られない」というんだから、本当にそうなのだろう。
「綺麗…」
ダイアモンドダスト。
ホワイトクリスマスという目論見は外れたが、こんな綺麗な光景が見られるのならここまで上ってきたかいがあるというものだ。
もう一度美しく輝く白銀の世界を見渡して、コトネは幸福をかみしめた。
そんなコトネの様子を見て、レッドもまた口元を緩める。




「街には降りないんですか?」
しばらく自然界の宝石を眺めたあと、コトネはそう尋ねた。
「んー物資もあるし、今のところは予定ないかな。なんで?」
「いえ、その、別に…」
「ふぅん。ここも、なかなかいいところだろ?こんな景色が見られるならさ」
レッドは笑って手のひらを空へと向けた。細氷がきらきらと陽光を吸い込みながらむき出しの手のひらに落ちて溶ける。
少しためらってから、コトネは言葉を発した。
「あの…今日って、なんの日か知ってますか?」
「今日?さあ…」
答える声はそっけない。レッドはポケットからポケギアを取り出すと(ポケギアを持っていたことにコトネは不満を感じた)日付を確認して
「ああ、なるほど…」
得心したように口角を上げた。

「それでコトネ、今日来たんだ。いつもはもうちょっと時間あけるもんな」
「……」

もちろん、クリスマスにレッドと過ごすためにここへきた。だが改めて言われると恥ずかしいし、含みのある笑い顔で覗き込まれれば目をそらしたくなる。
「かわいいとこあるね。クリスマスにオレに会いにわざわざこんな雪山をえっこらよっこら」
「…レッドさんが降りてきてくれれば、何も問題なかったんですよ!」
「そしたらこの奇跡は見られなかったけどね」
赤く頬を染めたまま押し黙ったコトネを喉で笑うと、レッドはおもむろにモンスターボールを取り出した。
「クリスマスなら、やどりぎが必要だな」
「やどりぎ?」
首をかしげたコトネに、レッドが答える。
「知らないのか?クリスマスにヤドリギの下で出会った二人はキスをしたっていいんだぜ。あるいは、しなければならない」
「なっ」
言葉につまったコトネの前で、レッドはフシギバナを出すと指示を与えた。フシギバナがのそりと動き、側にあった大木にするするとツタが伸びていく。宿主から栄養を得たツタが青々と茂り、枯れ木にこんもりと巣を作った。何本か垂れ下がったつるがレッドの頭上に揺れている。
「コトネ」
ちょいちょいと、レッドが手招きした。思わず身構える。
「なんだよ、こういうことがしたくて来たんじゃないのか?」
「で、でも、なんか、その」
「…あと3秒で来ないとオレは一人で山を下りる」
「ええ!!ま、待って、」

慌ててレッドのもとへ――ヤドリギの下へと駆け込んだコトネを、レッドは力一杯抱きしめた。
足下で新雪がきゅう、と音を上げる。
頬に触れた髪がくすぐったく、温かい。
心臓がうるさいくらい存在を主張していたが、触れあった部分から伝わる音はコトネと同じくらいうるさく騒いでいた。

「れ、レッドさん…」
「プレゼント、何も用意してないけど」
「別に、気にしません」
「うん。じゃあ顔上げて?」

レッドはいつも通り、気楽に言った。けれど、コトネは知っている。レッドが自分の来訪をこの上なく喜んでくれたことを。
だからとびきりの笑顔を見せた。レッドも笑顔を返した。
煌めく陽光が降り注ぐ中で、極彩色に輝く影がそっと触れあった。


Merry White Xmas